読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ADHD大学生の日々

二度目の大学生活を送る、成人ADHD。コンサータその他服用中。

立入勝義著『ADHDでよかった』を読んだ話

こんにちは、もちこです。

ADHDに関連する新書を読みまして、せっかくなので感想を残しておこうと思います。

なるべく落ち着いて書いたつもりですが、コンプレックスを刺激されて少々叩き気味になっています。

ADHDでよかった (新潮新書)

ADHDでよかった (新潮新書)

 

この本を読んでいる間ずっと感じていたことがひとつあります。

私と著者はどちらもADHDである(らしい)けれども、まるで違う性質だということです。

DSM-IV-TRでは、ADHDを「多動・衝動性優勢」「不注意優勢」「混合型」の3つに分けていますが、私と著者とではこの型が違うのかなと感じました。私は多動があまりありません(頭のなかはごちゃついてますが)。それから、私はやっぱりASD併発だなと。過集中、時間や金銭の管理、整理整頓、権威への反発など共通する部分もいろいろあったのですが、私は同じ本やゲームを繰り返しやったり、複数回行ったお店で毎回同じメニューを頼んだり(新しいものに自分からあまり手を出せない)、人見知りが激しい・感情表現が苦手であるため対人関係が不得手であったりと、ASD優勢な気すらします。私もやはり衝動性が現れると突拍子もないことをしますが、いつも新しい一歩を踏み出すのが億劫でないというのはうらやましい限りだと感じました。

本書の内容についてのあれこれ

本書では序盤に著者である立入氏の生い立ちが事細かに記され、幼少期や学生時代の思い出、ADHDらしい失敗が具体的なエピソードとともに紹介されています。転機となったアメリカへの留学、そこでの奥様との出会い、結婚後の奥様との諍いなど盛りだくさんです。まさに波乱万丈ですね。Amazonでの著者紹介の欄にアメリカ在住でカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)出身、大企業での勤務経験もありとあったのを最初に見て、「なんだエリートの自慢日記か…」と思ったのですが、挫折の日々がつづられています。長くて何度も休憩しましたけども…。

 

大学を卒業した後の著者は、日本に帰国して就職。その後アメリカへ再び渡り法人の代表を任されたり、独立して事業を立ち上げたり、会社の社長を任されたりとキャリアを積んでいきます。いわく仕事運に恵まれており、ささやかな自慢として例外(職に対してスペックが高すぎた)を除いては第一志望の面接で落とされたことがないそうです。この自慢を書けるようになるまでにはずいぶんかかったでしょうが、それを加味しても書く必要のないことですね…。この文もまた、書く必要のないことですが。

事業での失敗や部下、同僚と人間関係がぎくしゃくしたこと、メールの文面で大問題になったこと、ビジネスパートナーの人選ミスなど、仕事での失敗談も多く書かれています。ADHDで社会人の方はあるあるなのかもしれませんね。芸術肌、経営やフリーランス向きという意見も述べています。ADHDは自己管理が苦手なので難しいところではあると思います。

 

以上が三章までで、四章ではADHDの人におすすめの時間配分法、スマートフォンアプリなどが紹介されています。

などなど。私はいつも普通の音楽を流しているので、瞑想音楽は取り入れたいと思いました。ウィッシュリストも、私は紙で管理していたのですが、携帯のほうがよくチェックできそうです。

それから、適材適所でやればADHDも成功できるよという内容。ADHDを公表している、または推測される人々の話。この辺はありがちで、ネットでも拾えますね。

第五章の親との関係は胸に迫るものがありました。親のようになりたくないと思うほど、似てしまうのは痛いほどわかります。私も母のような怒り方をしたくないと思う反面、似てしまっていて自己嫌悪に陥ります。著者は自らの父を受け入れることができ、比較することなくお子さんや奥様との関係がより円滑になったそうです。

発達障害を持つ子どもへのギフテッド教育、才能の伸ばし方、ケアの仕方など日本社会へのさまざまな提言を第六章に据え、本書は終わります。こうしてみると、内容が多岐に渡りますね。200ページあるうちの半分以上は著者の経歴と経験談ですが…。

もやもやする部分 

ADHDは障害であり、病気とは違い完治はしないとドクターに伝えられたと第一章で書きました。しかし、それから八年経ち、今では対処法を学べば克服していくことができると信じるに至りました。(p.114)

 (前略)自閉症スペクトラムでも軽度のADHDアスペルガー症候群を克服することは、体験上それほど難しくありません。(p.115)

「克服」とはなんでしょうか?困難に打ち勝ち、乗り越えることです。

「克服することは難しくない?私が甘ったれてるから克服できないのか?」そんな考えがぐるぐる頭の中で回り始めていました。辞書的な意味に執着しすぎでしょうか?「難しくない」とただ言ってしまうのは問題があるように思います。

日本ではADHDの薬はコンサータストラテラのみですが、アメリカではリタリンもありますし、ヴァイヴァンスという薬もあるそうですが、著者は薬を飲まなくなって結構経つとのこと。薬なしでコントロールする術を身に着けたといい、「そんなの身に着いたら苦労しないわ」などと言いがかりをつける私でした。

あとは野暮ですがお金関係の話。実家が裕福でないこと、借金癖があること、事業がうまくいかないことも多いことは繰り返し語られていますが、私立大を受けるなど普通にお金持ちに見えます…。受験料もタダじゃないですし。

雑なまとめ

本書を読んでいて、私は随所に見られるプチ自慢の記述(プロジェクトのおかげで月収の倍のお金を一日で手に入れたなど)がそこはかとなくいやだとさえ思っていましたが、この記述を読んですべて腑に落ちました。

自分のことをダメ人間だと思っているからこそ、周りで高い評価を受けたり賞賛されたりする人物がいると妬ましく思い、ついつい自分と比較してしまいます。(p.153) 

私はきっと著者がうらやましく、妬ましく思っているのですね。ADHDであるのは同じなのにこの差はなんだ?と。かつ、キャリアを積んでいて経営もしたことがある=権威ある存在と無意識に感じ、権威ある存在に反抗する気質が反応しているように感じます。

そして、決定的な差。私は『ADHDでよかった』と思ってないのだろうな、ある種諦めているんだな、と。「この人と私は違う」で思考が終わってるんですね。でもうらやましい。私にはないもの(行動力や、コミュニケーション力など)を持っているから。

もともと「きっとこの本は合わないだろうな」と、怖いもの見たさで買った本ですが、やはりかっちりとは合わなかったようです。私は「ADHDで困る日々って、こういうことがあるよね」とか、「ADHDならこう片付けろ」とか、「地味だけど幸せだよ」みたいな本を読みたいのかなと。誰か出さないかなぁ。

とはいえ、著者のADHDに関する記述を通して、自分を理解することにつながったのは収穫だと感じました。自分の発達特性もそうですし、私は上昇志向なんてまったくないんだなと。そういう「成功」にまったく興味がないことに気づきました。著者がうらやましいとは、私にはないものを持っていることに加え、『ADHDでよかった』と思っていることに対してなのかもしれません。

多動性に困る方やADHDの特性を伸ばして成功するぞ!と思う方は、読むと勇気づけられるのではないでしょうか。

私は明日も、家でごろごろしようと思います。

「誰にでもあること」と「障害」のはざまで

こんにちは、もちこです。

近年、自閉症アスペルガー症候群などは、自閉症スペクトラム(ASD)という言葉に置き換わりつつありますね。以前はここからが定型発達者で、ここまでは自閉症で、ここまではアスペルガー症候群…といった考え方でした。実際のところは定型発達者から自閉症まで、症状の重さや有無はさまざまで、区切ることが難しいものであり、虹のように連続しています。それで「スペクトラム(連続体)」という名称がつきました。

発達障害というものは、外見からすぐわかるものではなく、症状の出方も人によってさまざまで、なかなか理解されづらい側面があると思いますし、医師の診断も難しいと思います。しかし、周囲の理解なくしては快適に生きるのが難しいこともあります。

他者との感覚の差異

先日、私はADHDだと診断が降りたことを大事な人に話しました。病院にかかるきっかけになった人です。私の話し方が悪く、彼は「私が障害者扱いされた」と感じ、不快に思ったようでした。私は「自分ができないこと」を滔々と話してしまいました。今思えば、そんなことを話しても仕方がないことです。「私がこれをできないのは、脳の機能がうまくいってなくて」と突然言われても、混乱するのは当たり前のことです。 

彼はぽつりと言いました。

「片付けができないとか、短期記憶が弱いとか、誰にでもあることじゃないの?」

「もう、障害に関して調べるのはやめたら?」

すでに少し記憶がおぼろげになっているのですが、私はショックで押し黙ってしまい、「どうしてわかってくれないんだろう?」と考えていたと思います。彼は私の言っている「症状」が想像しづらく、受け入れにくいように感じると話してくれました。

私は改めて、他者の感覚が体験できないゆえに、発達障害を理解するのが難しいことを痛感しました。

誰にでも当てはまること?

 あなたは、バーナム効果という現象をご存知でしょうか?

バーナム効果(バーナムこうか、: Barnum effect)とは、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる性格なものだと捉えてしまう心理学の現象。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/バーナム効果からの引用)

 具体的に言うなら、「血液型と性格」でしょうか。数年前、『○型の説明書』という本が流行りましたよね。神経質、大ざっぱ、社交的、変わり者、マイペース…だいたいそんな言葉が躍っています。いわゆるあるある話では、「知らない間にどこかにぶつけてあざができている」とか。今は話のネタ程度のものですね。

バーナム効果の名前を知らなくとも、「そんなの誰にでも当てはまることだ」と捉えている人は多くいるでしょう。そこに「片付けができない」「感情をうまく制御できない」「段取りが苦手」「感覚過敏」という言葉を並べてみても、やはり同じように感じてしまうかもしれません。

けれども、ADHDの人は実際に困っているという厳然たる事実があるのです。

生活に困ったり、二次障害を発症してしまうほどのものならば、やはりそれはよくないことと捉える方がいいと私は思います。ADHDなら、

  • だらしない性格と言われ、自己肯定感の低下、うつ病の発症
  • 変わった振る舞いをすることを恐れ、不安障害に

といった二次障害があります。

果たしてこれらの二次障害も含めて考えたときに、誰にでも当てはまることでしょうか?

私はそうは思いません。

けれどADHDでない人との感覚の乖離が、問題を難しくしているように感じます。

甘えでも怠慢でもない

どこまでが健常で、どこからが障害なのか。

冒頭にも述べた通り、判断が難しいのが現状です。他人の感覚は、本人からの言葉で把握するしかなく、実体験できません。

周りを見てみると、同じような特性を持っていても、支障なく生活している人もいて、自分が甘えているだけなのかと頭を悩ませます。

けれど私は、あなたが困っているのは甘えでも怠慢でもないと思います。

「障害」という言葉を使わなくてもいいです。障害者だと思いたくないならそれでいいです。どうか自分が困っているという事実は、認めて向き合ってほしいと思います。

こう書いておきつつも、私もまだ、葛藤があります。コンサータを飲み続けていいのか、本当にADHDなのか。

けれど、自分が困っている事実と向き合って、ありのままの自分を認めたい。私は何者であるのか、土台を作りたい。そこから、自分が何をできるか探っていきたいです。

月並みな言葉ですが、自己肯定感が低い人は特に、自分を大事にしてほしいと思います。たとえADHDであっても、あなたの人生を決めるのは、あなた自身です。

私も手探りですから、いっしょに探っていきましょう。

ADHDという視点から、幼少期の頃を思い出してみる②

こんにちは、もちこです。

前回は、かなりさかのぼって幼少期の頃を思い出していました。

今回中学以降の時期を思い返して、もっとも印象強く思われるのは、衝動性でした。

衝動買い・衝動的な発言の多さ

買ったはいいものの、クローゼットに眠ったままの服は複数ありますし、玄関に袋を置いてそのまま…ということもよくあります。

衝動的に人を傷付けるような発言も多くありました。高校生の頃、家族が入院して精神的に不安定になった頃が特にひどかったです。人間関係が一気に瓦解してしまい、家には一人で、夏休みにもかかわらず引きこもっていたのを覚えています。

大学以降の恋人相手でも、ひどいことをかなり言ってしまいました。そして自分の言ったことでどん底まで落ち込む、それの繰り返しです。病院に行こうと思った直接のきっかけは、これでした。二十余年かかって、ようやく大事な人を傷付ける罪の重さに気付いたんです。今もともにいてくれる人には、頭が上がりません。

多動は多少収まり始めていたものの、不注意はそのままずっと続いていました。大学に入ったはいいものの、一人暮らしで朝は起きられない、先延ばし癖が出てレポートはぎりぎりで出来もよくない、講義に興味がなくてさぼったり別のことをしたり…。学校では衝動的な発言はあまりありませんでした。というのも、友人を作る段階でつまずいてしまったので、言う相手がいなかったのです。そういったことが重なり、「なんとなく」で大学や学部を決めた私は、将来のビジョンも見えず、結局退学してしまいました。

 

こんなに兆候があっても…

これらはADHDと診断された今、ADHDのことをそれなりに理解した上で振り返ってみて、気付いたことにすぎません。

自分自身は何か他の人とずれているな、と私が気付いたのは最初の大学に入学してからでした。それでも、ADHDだと思い当たりませんでしたし、環境が変わったせいだと思っていました。

私はもともとインドア派で、ゲームやネットが大好きでした。過集中ゆえか、時間の許す限り遊んでいて、ほぼ依存のような状態だったと思います。ファッションは今ほど頓着がなく、流行りの楽曲やドラマなどはほとんど興味がありませんでした。(この辺りは、自閉症スペクトラムの特徴である限局的な興味なのかもしれません)周囲との話題の種くらいの認識で、それらのチェックも興味が持てないので疎かになりました。この頃は、流行りのものに興味が持てないのはオタク趣味だからだろうと思っていました。

中高一貫の学校で育った私は、大学に進学すると、新しい友人を作ることがあまりにも久しぶりすぎて戸惑いました。いつの頃からか、人見知りが激しく、人に話しかけることができませんでした。誰かが声をかけてくれるのをじっと待っていて、今にして思えば幼子のようでした。

同じクラスの子が声をかけてくれましたが、講義のこと以外で共通の話題が見当たらずどうしたらいいかわからなくなってしまいました。サークルもピンとくるものがなく、とぼとぼ登校してとぼとぼ帰宅する日々が続いていました。

 

自分を変えたい!と始めたアルバイ

大学3年になる春、書店でのアルバイトを始めました。お金を稼ぎながら、人見知りが治れば…と思ってのことでした。大きなお店で、主な業務はレジ打ちでした。たまに新刊入荷時の在庫管理もしました。臨機応変に対応することが求められる接客業。自分の特性をよくわかっていなかった私は、いろいろなところでつまずきました。

基本的なことは、数をこなすのでできるようになりました。声も、途中から小さくなくなりました。けれど一つ、できないことがありました。

質問をすることです。

研修中、先輩や上司が言葉で教えてくれることを必死にメモしていました。こういうときはこうする、これを聞かれたらこうご案内する…。とても優しかったと思います。しかし、そこから派生する質問が思い浮かびません。結果イレギュラーが起きるとパニックになり、固まってしまうこともありました。お客様に怒鳴られても仕方ないレベルでしたが、お客様が優しくて救われたことも多かったです。私より後に入った子達は、多少のミスはあれど、質問をしたり、会話をしたりして乗り越えて行きます。

何か違うのか?何が?

働き始めてしばらく経ち、クリスマスがやってきた頃、その答えに近いものに突き当たりました。

クリスマス前の書店はお子さんやお孫さんへのプレゼントを買い求めるお客様でいっぱいです。お店ではお買い上げ頂いたお客様へラッピングをサービスしており、クリスマス前は混み合うため、アルバイトの店員もラッピングの研修をして手伝っていました。

私もその研修を受けました。他のアルバイトの子二人と一緒でした。上司が口頭でラッピングの手順を説明しながら、お手本を見せてくれます。やってみて、と一言。他の二人はすらすらと見せてもらった通りにサンプルの本をラッピングしていきます。一方私は大苦戦で、手取り足取り教えてもらいましたが、かなり時間がかかりました。

私はこのときはっきりと思いました。耳だけで情報を処理しようとすると、うまくいかないということを。

何かがおかしいと初めて気付きました。耳からの情報をうまく処理できず、短期記憶にとどめておくことができないために、何を聞けばいいか、何をすればいいかわからなくなっているのではないかと思います。お客様がよく質問することは、数をこなして長期記憶になり、特に混乱しないのかもしれないと。さらにマルチタスクも苦手で、見ながら・聴きながらメモをとるのも難しいのだと思います。ただ、これは病気か何かなのか、それとも自分の要領が悪いだけなのかわからず、そのまま放っておいてしまいました。

その後私は大学を退学し、アルバイトも辞めました。一度実家に戻りましたが、紆余曲折を経て今の大学に入学しました。専攻を心理学に変えました。なんとなく感じていた、育ってきた環境のおかしさや生きづらさの正体を知れるかもしれない…そういう思いでした。

引っ越して病院に行こうと思っていましたが、なかなか行けませんでした。今度の生活は楽しく、それにかまけていました。ところが、朝起きられない日が出てきました。でも、レポートはそれなりに計画を立てて書けてる…だから大丈夫。先延ばし癖でしょうか、頭から抜け落ちるせいでしょうか、病院が意識から遠ざかっていきました。

すべてを失う前に

前述の通り、病院に行くきっかけは自分が引き起こしました。大事な人を衝動的に言った一言でひどく傷付けてしまったのです。食欲がなくなるほど落ち込んで、病院に行くことを決めました。ネットを見ていて、発達障害の特性なのではないかと思っていたので、心療内科を受診しました。そして現在に至ります。

 

以後は比較的最近の話になりますので、またの機会にしようと思います。

もしあなたが人間関係を築く上でご自身の衝動性に困っているのであれば、私のように大事な人を傷付ける前に病院を受診し、対策を講じてほしいと思います。

ADHDという視点から、幼少期の頃を思い出してみる①

こんにちは、もちこです。

私は成人してからADHDと診断されましたが、ADHDと診断される基準のひとつに、12歳頃までに症状のいくつかが見られるというものがありますね。

それを元に、私が生まれてから今までのことを思い返してみることにしました。

今回は、幼稚園~小学校時代を主に思い返しています。

不注意・多動性・衝動性はあったのか?

結論から言うならば、あったと思います。

 ただ、著しい多動(授業中に席を立ったり、教室を歩き回ってしまう)に関しては、小学校に入学したばかりの頃に、担任の先生に厳しく叱られ、なりを潜めました。彼女には今でも感謝しています…。

代わって現れたのが、髪を触ったり、足を動かしたりする癖だろうと思います。これは今も治っていません。

この頃の衝動性についてはよく思い出せません。しかし、現在もみられないとは言えません。私自身は中高以降、もっと正確に言うなら大学以降、かなり気になりだした性質です。

不注意は主に勉強面に現れていました。四則演算の初歩的なミスがいちばん多かったように思います。宿題はしばしば忘れたり、先延ばし癖でやらなかったりといったことがありました。参観日の懇談会の出欠を母に書いてもらい、学校に提出しなければならないのに、母に見せるのを忘れることもしょっちゅうでした。

 
◎いまになって振り返らなくてもいい?

こうして振り返るのには、理由があります。

ADHDと診断するに至る、こうした兆候を見逃されていたからです。

それが悪いとは思っていません。およそ15年前ですので、ADHDが広く認知されているとは到底言えない状況ですから、当たり前とも言えます。それに、わかりやすい兆候である著しい多動はすぐになくなってしまいましたし。

そしてもうひとつ。私は高校まで成績が良かった。教科書もあり、記憶しやすい形で授業が展開され、興味もありました。数学だけはてんでダメでしたが、センターまでにそれなりのレベルになりました。体育?知らない子ですね。

念のため、自慢なんかではありません。昔取った杵柄というものです。いまも成績優秀で、大学を退学せず就職できていたらどんなによかったか…。また、最初の大学では、成績と実際の『頭の良さ』に大きな隔たりがあることを思い知らされました。

いずれにせよ、大学になってADHDの特性をわかりやすく自覚するに至った人間は、ここにもいるということです。実際に病院に行くまでは、かなりかかりましたが…。

次回は、中高と最初の大学に通っていた頃のことを思い返してみようと思います。

自己紹介:もちこと申します

  • 片付けが苦手
  • 起きられない
  • 時間に遅れる
  • ケアレスミスが多すぎる

などなど…ADHDという特性を知っている人は、もう見慣れたワードですね。

私は今月、2016年10月の初旬にADHDの診断を受けました。

薬を服用し始めてまだまだ日の浅い人間ですが、ADHDとして生きてきた年月は二十余年です。

このブログでは、今までに起きたこと、今自分の身に起きていることを、ADHDという側面からつづりたいと思っています。

こういうADHDもいるんだということを、文字に残そうと思います。

三日坊主かもしれませんが(笑)、とりあえず過去を振り返ることから始めようと考えています。

そのうち、何かを発信できたらいいな。