ADHD大学生の日々

二度目の大学生活を送る、成人ADHD。コンサータその他服用中。

「誰にでもあること」と「障害」のはざまで

こんにちは、もちこです。

近年、自閉症アスペルガー症候群などは、自閉症スペクトラム(ASD)という言葉に置き換わりつつありますね。以前はここからが定型発達者で、ここまでは自閉症で、ここまではアスペルガー症候群…といった考え方でした。実際のところは定型発達者から自閉症まで、症状の重さや有無はさまざまで、区切ることが難しいものであり、虹のように連続しています。それで「スペクトラム(連続体)」という名称がつきました。

発達障害というものは、外見からすぐわかるものではなく、症状の出方も人によってさまざまで、なかなか理解されづらい側面があると思いますし、医師の診断も難しいと思います。しかし、周囲の理解なくしては快適に生きるのが難しいこともあります。

他者との感覚の差異

先日、私はADHDだと診断が降りたことを大事な人に話しました。病院にかかるきっかけになった人です。私の話し方が悪く、彼は「私が障害者扱いされた」と感じ、不快に思ったようでした。私は「自分ができないこと」を滔々と話してしまいました。今思えば、そんなことを話しても仕方がないことです。「私がこれをできないのは、脳の機能がうまくいってなくて」と突然言われても、混乱するのは当たり前のことです。 

彼はぽつりと言いました。

「片付けができないとか、短期記憶が弱いとか、誰にでもあることじゃないの?」

「もう、障害に関して調べるのはやめたら?」

すでに少し記憶がおぼろげになっているのですが、私はショックで押し黙ってしまい、「どうしてわかってくれないんだろう?」と考えていたと思います。彼は私の言っている「症状」が想像しづらく、受け入れにくいように感じると話してくれました。

私は改めて、他者の感覚が体験できないゆえに、発達障害を理解するのが難しいことを痛感しました。

誰にでも当てはまること?

 あなたは、バーナム効果という現象をご存知でしょうか?

バーナム効果(バーナムこうか、: Barnum effect)とは、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる性格なものだと捉えてしまう心理学の現象。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/バーナム効果からの引用)

 具体的に言うなら、「血液型と性格」でしょうか。数年前、『○型の説明書』という本が流行りましたよね。神経質、大ざっぱ、社交的、変わり者、マイペース…だいたいそんな言葉が躍っています。いわゆるあるある話では、「知らない間にどこかにぶつけてあざができている」とか。今は話のネタ程度のものですね。

バーナム効果の名前を知らなくとも、「そんなの誰にでも当てはまることだ」と捉えている人は多くいるでしょう。そこに「片付けができない」「感情をうまく制御できない」「段取りが苦手」「感覚過敏」という言葉を並べてみても、やはり同じように感じてしまうかもしれません。

けれども、ADHDの人は実際に困っているという厳然たる事実があるのです。

生活に困ったり、二次障害を発症してしまうほどのものならば、やはりそれはよくないことと捉える方がいいと私は思います。ADHDなら、

  • だらしない性格と言われ、自己肯定感の低下、うつ病の発症
  • 変わった振る舞いをすることを恐れ、不安障害に

といった二次障害があります。

果たしてこれらの二次障害も含めて考えたときに、誰にでも当てはまることでしょうか?

私はそうは思いません。

けれどADHDでない人との感覚の乖離が、問題を難しくしているように感じます。

甘えでも怠慢でもない

どこまでが健常で、どこからが障害なのか。

冒頭にも述べた通り、判断が難しいのが現状です。他人の感覚は、本人からの言葉で把握するしかなく、実体験できません。

周りを見てみると、同じような特性を持っていても、支障なく生活している人もいて、自分が甘えているだけなのかと頭を悩ませます。

けれど私は、あなたが困っているのは甘えでも怠慢でもないと思います。

「障害」という言葉を使わなくてもいいです。障害者だと思いたくないならそれでいいです。どうか自分が困っているという事実は、認めて向き合ってほしいと思います。

こう書いておきつつも、私もまだ、葛藤があります。コンサータを飲み続けていいのか、本当にADHDなのか。

けれど、自分が困っている事実と向き合って、ありのままの自分を認めたい。私は何者であるのか、土台を作りたい。そこから、自分が何をできるか探っていきたいです。

月並みな言葉ですが、自己肯定感が低い人は特に、自分を大事にしてほしいと思います。たとえADHDであっても、あなたの人生を決めるのは、あなた自身です。

私も手探りですから、いっしょに探っていきましょう。

ADHDという視点から、幼少期の頃を思い出してみる②

こんにちは、もちこです。

前回は、かなりさかのぼって幼少期の頃を思い出していました。

今回中学以降の時期を思い返して、もっとも印象強く思われるのは、衝動性でした。

衝動買い・衝動的な発言の多さ

買ったはいいものの、クローゼットに眠ったままの服は複数ありますし、玄関に袋を置いてそのまま…ということもよくあります。

衝動的に人を傷付けるような発言も多くありました。高校生の頃、家族が入院して精神的に不安定になった頃が特にひどかったです。人間関係が一気に瓦解してしまい、家には一人で、夏休みにもかかわらず引きこもっていたのを覚えています。

大学以降の恋人相手でも、ひどいことをかなり言ってしまいました。そして自分の言ったことでどん底まで落ち込む、それの繰り返しです。病院に行こうと思った直接のきっかけは、これでした。二十余年かかって、ようやく大事な人を傷付ける罪の重さに気付いたんです。今もともにいてくれる人には、頭が上がりません。

多動は多少収まり始めていたものの、不注意はそのままずっと続いていました。大学に入ったはいいものの、一人暮らしで朝は起きられない、先延ばし癖が出てレポートはぎりぎりで出来もよくない、講義に興味がなくてさぼったり別のことをしたり…。学校では衝動的な発言はあまりありませんでした。というのも、友人を作る段階でつまずいてしまったので、言う相手がいなかったのです。そういったことが重なり、「なんとなく」で大学や学部を決めた私は、将来のビジョンも見えず、結局退学してしまいました。

 

こんなに兆候があっても…

これらはADHDと診断された今、ADHDのことをそれなりに理解した上で振り返ってみて、気付いたことにすぎません。

自分自身は何か他の人とずれているな、と私が気付いたのは最初の大学に入学してからでした。それでも、ADHDだと思い当たりませんでしたし、環境が変わったせいだと思っていました。

私はもともとインドア派で、ゲームやネットが大好きでした。過集中ゆえか、時間の許す限り遊んでいて、ほぼ依存のような状態だったと思います。ファッションは今ほど頓着がなく、流行りの楽曲やドラマなどはほとんど興味がありませんでした。(この辺りは、自閉症スペクトラムの特徴である限局的な興味なのかもしれません)周囲との話題の種くらいの認識で、それらのチェックも興味が持てないので疎かになりました。この頃は、流行りのものに興味が持てないのはオタク趣味だからだろうと思っていました。

中高一貫の学校で育った私は、大学に進学すると、新しい友人を作ることがあまりにも久しぶりすぎて戸惑いました。いつの頃からか、人見知りが激しく、人に話しかけることができませんでした。誰かが声をかけてくれるのをじっと待っていて、今にして思えば幼子のようでした。

同じクラスの子が声をかけてくれましたが、講義のこと以外で共通の話題が見当たらずどうしたらいいかわからなくなってしまいました。サークルもピンとくるものがなく、とぼとぼ登校してとぼとぼ帰宅する日々が続いていました。

 

自分を変えたい!と始めたアルバイ

大学3年になる春、書店でのアルバイトを始めました。お金を稼ぎながら、人見知りが治れば…と思ってのことでした。大きなお店で、主な業務はレジ打ちでした。たまに新刊入荷時の在庫管理もしました。臨機応変に対応することが求められる接客業。自分の特性をよくわかっていなかった私は、いろいろなところでつまずきました。

基本的なことは、数をこなすのでできるようになりました。声も、途中から小さくなくなりました。けれど一つ、できないことがありました。

質問をすることです。

研修中、先輩や上司が言葉で教えてくれることを必死にメモしていました。こういうときはこうする、これを聞かれたらこうご案内する…。とても優しかったと思います。しかし、そこから派生する質問が思い浮かびません。結果イレギュラーが起きるとパニックになり、固まってしまうこともありました。お客様に怒鳴られても仕方ないレベルでしたが、お客様が優しくて救われたことも多かったです。私より後に入った子達は、多少のミスはあれど、質問をしたり、会話をしたりして乗り越えて行きます。

何か違うのか?何が?

働き始めてしばらく経ち、クリスマスがやってきた頃、その答えに近いものに突き当たりました。

クリスマス前の書店はお子さんやお孫さんへのプレゼントを買い求めるお客様でいっぱいです。お店ではお買い上げ頂いたお客様へラッピングをサービスしており、クリスマス前は混み合うため、アルバイトの店員もラッピングの研修をして手伝っていました。

私もその研修を受けました。他のアルバイトの子二人と一緒でした。上司が口頭でラッピングの手順を説明しながら、お手本を見せてくれます。やってみて、と一言。他の二人はすらすらと見せてもらった通りにサンプルの本をラッピングしていきます。一方私は大苦戦で、手取り足取り教えてもらいましたが、かなり時間がかかりました。

私はこのときはっきりと思いました。耳だけで情報を処理しようとすると、うまくいかないということを。

何かがおかしいと初めて気付きました。耳からの情報をうまく処理できず、短期記憶にとどめておくことができないために、何を聞けばいいか、何をすればいいかわからなくなっているのではないかと思います。お客様がよく質問することは、数をこなして長期記憶になり、特に混乱しないのかもしれないと。さらにマルチタスクも苦手で、見ながら・聴きながらメモをとるのも難しいのだと思います。ただ、これは病気か何かなのか、それとも自分の要領が悪いだけなのかわからず、そのまま放っておいてしまいました。

その後私は大学を退学し、アルバイトも辞めました。一度実家に戻りましたが、紆余曲折を経て今の大学に入学しました。専攻を心理学に変えました。なんとなく感じていた、育ってきた環境のおかしさや生きづらさの正体を知れるかもしれない…そういう思いでした。

引っ越して病院に行こうと思っていましたが、なかなか行けませんでした。今度の生活は楽しく、それにかまけていました。ところが、朝起きられない日が出てきました。でも、レポートはそれなりに計画を立てて書けてる…だから大丈夫。先延ばし癖でしょうか、頭から抜け落ちるせいでしょうか、病院が意識から遠ざかっていきました。

すべてを失う前に

前述の通り、病院に行くきっかけは自分が引き起こしました。大事な人を衝動的に言った一言でひどく傷付けてしまったのです。食欲がなくなるほど落ち込んで、病院に行くことを決めました。ネットを見ていて、発達障害の特性なのではないかと思っていたので、心療内科を受診しました。そして現在に至ります。

 

以後は比較的最近の話になりますので、またの機会にしようと思います。

もしあなたが人間関係を築く上でご自身の衝動性に困っているのであれば、私のように大事な人を傷付ける前に病院を受診し、対策を講じてほしいと思います。

ADHDという視点から、幼少期の頃を思い出してみる①

こんにちは、もちこです。

私は成人してからADHDと診断されましたが、ADHDと診断される基準のひとつに、12歳頃までに症状のいくつかが見られるというものがありますね。

それを元に、私が生まれてから今までのことを思い返してみることにしました。

今回は、幼稚園~小学校時代を主に思い返しています。

不注意・多動性・衝動性はあったのか?

結論から言うならば、あったと思います。

 ただ、著しい多動(授業中に席を立ったり、教室を歩き回ってしまう)に関しては、小学校に入学したばかりの頃に、担任の先生に厳しく叱られ、なりを潜めました。彼女には今でも感謝しています…。

代わって現れたのが、髪を触ったり、足を動かしたりする癖だろうと思います。これは今も治っていません。

この頃の衝動性についてはよく思い出せません。しかし、現在もみられないとは言えません。私自身は中高以降、もっと正確に言うなら大学以降、かなり気になりだした性質です。

不注意は主に勉強面に現れていました。四則演算の初歩的なミスがいちばん多かったように思います。宿題はしばしば忘れたり、先延ばし癖でやらなかったりといったことがありました。参観日の懇談会の出欠を母に書いてもらい、学校に提出しなければならないのに、母に見せるのを忘れることもしょっちゅうでした。

 
◎いまになって振り返らなくてもいい?

こうして振り返るのには、理由があります。

ADHDと診断するに至る、こうした兆候を見逃されていたからです。

それが悪いとは思っていません。およそ15年前ですので、ADHDが広く認知されているとは到底言えない状況ですから、当たり前とも言えます。それに、わかりやすい兆候である著しい多動はすぐになくなってしまいましたし。

そしてもうひとつ。私は高校まで成績が良かった。教科書もあり、記憶しやすい形で授業が展開され、興味もありました。数学だけはてんでダメでしたが、センターまでにそれなりのレベルになりました。体育?知らない子ですね。

念のため、自慢なんかではありません。昔取った杵柄というものです。いまも成績優秀で、大学を退学せず就職できていたらどんなによかったか…。また、最初の大学では、成績と実際の『頭の良さ』に大きな隔たりがあることを思い知らされました。

いずれにせよ、大学になってADHDの特性をわかりやすく自覚するに至った人間は、ここにもいるということです。実際に病院に行くまでは、かなりかかりましたが…。

次回は、中高と最初の大学に通っていた頃のことを思い返してみようと思います。

自己紹介:もちこと申します

  • 片付けが苦手
  • 起きられない
  • 時間に遅れる
  • ケアレスミスが多すぎる

などなど…ADHDという特性を知っている人は、もう見慣れたワードですね。

私は今月、2016年10月の初旬にADHDの診断を受けました。

薬を服用し始めてまだまだ日の浅い人間ですが、ADHDとして生きてきた年月は二十余年です。

このブログでは、今までに起きたこと、今自分の身に起きていることを、ADHDという側面からつづりたいと思っています。

こういうADHDもいるんだということを、文字に残そうと思います。

三日坊主かもしれませんが(笑)、とりあえず過去を振り返ることから始めようと考えています。

そのうち、何かを発信できたらいいな。