ADHD大学生の日々

二度目の大学生活を送る、成人ADHD。コンサータその他服用中。

私は診察室で何を言ってほしかったのか

先日、診察でした。

通院をはじめて、1年が経とうとしています。

診察券の裏面に書かれた予約を数えてみると、20回以上病院に行っていました。

そして、これからも続くのでしょう。

 

先生が診察の最後に「なにか言っておきたいこと、言い残したことはない?」と尋ねてくれます。

私はごにょごにょ言いたいことを言います(大半が学校の愚痴です)。

先生はそれを聞いて、そっか、と頷いて、どうしようもなくなったら配慮を求めるよう一筆書くからと言ってくれます。

その心遣いは、患者に対して当たり前なのかもしれないけど、嬉しいです。

 

けれど、何かが動くことはあまりありません。

私が忘れっぽいのも大きく、前回の診察時に話したことはだいたい次回にはクリア(もとい、うやむやに)されています。

それでも、またストレスが溜まれば愚痴をこぼしたり、涙ぐんでみたり。

先日の診察の帰り、何か動きがほしい、と思ってしまったのです。しかも、悩みを言ったその場で。

 

「学校が始まるから不安だ」というと、「きっとやれる、大丈夫」と背中を押してほしかったのだと。

先生はお医者さんであって心理士さんではありません。

しかし、私はなぐさめられたいのだ、ということに気付きました。

「きみはやれる子だ」と(根拠がなくとも)元気づけられたいのだと。

 

それを先生に要求するのもなにか違うし、学生相談室の先生に言うしかないな~と思いつつ、結局言えなさそうですが。

学校がまた始まります。休暇中に1つ歳を取り、焦る気持ちもありますが、少しずつ進んでいきたいと思います。

導線をつくること

生活導線ってありますよね。

キッチンに冷蔵庫があるように、脱衣所に洗濯機があるように、効率よく生活をしていくために人はいろいろ工夫をしています。

最近の私は少しずつ自分なりの工夫ができてきているような気がします。

たとえば、私はお風呂自体はきらいではないのですが、入るまでがとてもおっくうです。お風呂は意外と体力を使います。いつもPCの前でぼけーっと座っていて、お風呂のためだけに立ち上がることができないので、お手洗いに立ったついでに入るようにしています。

正直な話、お手洗いはほぼ行動のトリガーになっています。どうしても行かないとならないですし。立ったついでにお風呂に入ったり、洗い物をしたり、お茶を淹れたり、ごみをまとめたり出しに行ったりします。

このおかげで、なんとか生活をまわしていくことができています。二十余年かけてようやく、少しできるようになりました。

 

そして、これらは家の中での話なので、外にも導線があればなと思う次第です。

言い換えれば、ささやかな楽しみというものでしょうか。それが、ほかの人はお友達と会って話すことであったり、仕事終わりにお酒を楽しんだり、ということなのかもしれません。私はそういうものがなくて、あまり家から出たくないなぁと思ってしまいます。

家が好きなのが、悪いことだというわけではないのですが(外の刺激はほんとうに疲れますし)、学校に行くといったやるべきことに対しても、あまり乗り気でないのが現状です。これを改善したいと思っています。

ただ、私は身体的にも精神的にもキャパシティが小さく、わりとすぐいっぱいいっぱいになってしまいがちです。さらに、外に出るとなると刺激がいっぱいです。学校の課題でひーひー言うのは、学生としてあるべき姿なのかもしれませんが、キャパオーバーととなりあわせでもあります。

もっとキャパシティを大きくしたいところです。ひとまず、時間割の組み方はもう少し考えたいですね。詰めすぎです…。

 

いまはこの先の就労に向け、自分の取り扱いについて自分でいろいろと考えている最中です。もっと自分の扱いをうまくしたいものです。そのためには、「そうせざるを得ない状況」や、「しょうがないな~やるしかないか~」と思うような導線が、私には必要なのかなと思います。自由で時間にも余裕があると、うだうだと先延ばししてしまうので…。

自己管理は、私の永遠の課題だと思います。発達当事者のみなさんはいかがでしょうか?

大学での聴覚過敏対策について

大学で発達障害特性に関する支援を受けています。前回の記事はこちらです。

前期に入ってから、支援担当の方と聴覚過敏対策の話し合いを重ねてきました。
うちの学生はどーしよーもないなぁと思いながら、あれこれ考えてきました。講義中に関係ないことをしゃべるって、なぜそうするのか私には本当に理解しがたいです。あまりにもしゃべる人が多すぎて、自分ルールの押しつけなのかな、とか悩みの種になることもあります。一応、講義中の私語がだめなのは私だけのルールではなく、ある程度浸透した普遍的なルールだと考えてはいます。私が困るのは音そのものもそうですが、注意したくても臆病なのでそれを抑え込んで、自分のなかにどろどろをためこんでしまうことです。支援担当さん、主治医、相談室の先生に話すことでなんとかどろどろを流し出している状況です。


思えば小学生の頃から口うるさく静かにしてくれと言う人間でした。当時は静かにしろと怒鳴ってしまったこともありますし、担任に大きい音がだめだとか訴えた覚えもあります。ただ、中学生になってしばらく経ったあたりから、最近までは話し声でイライラした覚えがありません。まあ前の大学の学生は、なんだかんだ優秀でした。

発達障害がわかって、あまり我慢しなくなったのもあるかもしれません。私がわがままなせいとは言い切れないんだな、という感じで。

 

前置きが長くなりましたが、今回の私の結論は適宜耳栓を使うことでした。

特にこだわっているわけではないので使っている耳栓については割愛しますが、一定の成果は上げていると思います。

感覚としては、「話していることはわかるが、何を話しているかはわからなくなる」といった感じです。

デジタル耳栓の類も試してみたいのですが、よく名前の挙がるキングジムのデジタル耳栓は「人の声は聞こえる」という話なので私の求めているものとは違うのかなと。クワイエットオンは単純に私が貧乏で手が出しにくいです…。

とはいえ、もう少し遮音性の高い耳栓を使えば、「先生の声だけ聞こえて、ほかは聞こえない」という私の目指す状況に近づきそうです。もちろん一番いいのは、誰もしゃべらなくなることなのでしょうけど…。

 

主治医いわく「意味のある音がだめなのかも」とのことで。雑踏やゲーセンなんかは平気だったりします。音が大きいのでイヤホンをつけて小さくはしますが、不快というわけではありません。電車や講義室、演習室などの「基本は静かな場所」での話し声が本当にだめです。こんな感じの自分が社会生活をやっていけるのか…それが一番の不安です。

最後に。Twitterで何の気なしに「聴覚過敏対策なんかないかな~」とつぶやいたとき、さまざまな情報をお寄せ頂きました。たいへん助かりました、ありがとうございました。

みんないろいろ工夫しています。たいへんですね。工夫の先に少しでも快適な生活があると信じたいです。

こころの距離

先月から、大学の学生相談室に通っています。

病院での診察は混んでいてあまり時間がないですし、頻繁に行くわけでもないので、カウンセリングを受けた方がいいかなと思い、学生相談室の利用を決めました。

以前も利用していて、そのときは途中でやめてしまったのですが、いまのところは通えています。

 

相談室で私が担当の先生と考えていることが、「こころの距離」です。

勉強を頑張ってるつもりなのだけど、いまいちモチベーションが続きません。その理由のひとつを、学外になんでも話せる距離の近い人はいるけれども、学内の人間関係が希薄だからだと考えています。
顔を合わせたらあいさつくらいはするけど、それ以上の、雑談だとか趣味の話をする人はあまりいません。大学生はサークルその他の活動を通して交友関係を作るのだと思いますが、私はサークルにも入っていなければアルバイトも個人での仕事なので同僚と会いません。要はぼっちなのです。

ひとりで講義を受けることには何の抵抗もないです。たまに誰かと受けることもあります。ただ、もう一歩近い関係の人が増えたら、楽しくなるしモチベーションも上がるのではないか、と相談室の先生は話してくれました。いまはみんな距離が遠いのかもと。
とはいえ、サークルにも入っていないし、いまから関係を構築していくのはなかなか難しい部分もあります。社会人になったら、もっと難しくなります。
先生は、談話室みたいな場所があるといいよね、と。静かな場所で、お話したければできるし、ただ休むこともできる場所があれば。私もそう思います。自分で計画を立て、進めるのは苦手ですが、そういう学内での定期お話し会のような計画に参加するかもしれません。先生は乗り気みたいです。いいことです。
いずれにせよ、今のうちに練習なりしておきたいのは確かです。

 

相談室に行った後日、恋人に最近けんかしてないね、と話を振ってみました。
私が病院に通い始めてから半年余り、けんかしていません。
彼はいい距離なんじゃない?と言いました。物理的な距離だと勘違いして、ちょっと落ち込んだのですが、お互いをわかってきたから、こころの距離がちょうどいいんだよ、とのことでした。

特に相談室に行ったことを話したわけではなかったので、そう言われたことに驚きました。
キーワードの一致。やはり私は、「こころの距離問題」に取り組む必要があるなと感じました。

かつて私はその衝動性で多くの人を困らせてきました。ありていに言えば、とんがりすぎていました。
いまも縁がある人に対しては、もっと感謝すべきなのだと思います。
狭かった高校時代までの世界とは違い、付き合う人とそうでない人、どちらも選択肢が広がっています。大海原に放り出されたような気持ちです。
航海仲間ができるといいなあ、と思います。

大学で受けている支援について

私は障害特性により、学業に支障が出ている部分がありましたので、大学側に障害をオープンにし、支援・配慮を受けることにしました。

それには苦手なことを伝えることが必要でした。私が挙げたのはこんな感じです。

  • ざわざわしたところにいること(講義中学生が雑談すること)
  • 睡眠全般(寝つきが悪い、起きられない、中途覚醒)
  • パワーポイントや板書など視覚情報なしの講義
  • ノートテイクと話を聴くことのマルチタスク
  • グループワークの困難(ワーク相手を探すこと)

 それに対し、支援担当の方と考えた全般的な方策がこちらです。

  • ノイズキャンセラー(デジタル耳栓)の使用
  • 私語はなるべく注意してもらうようお願いする
  • パワーポイントの資料を印刷して学生に配布するなど、視覚情報を充実させる
  • レポートの期日など重要なことは必ず視覚化する
  • グループワーク相手をあらかじめ決めること、あるいは内容の事前アナウンス
  • まあ朝はがんばって起きろ(私は春休みを使って練習してました)

診断書も提出し、学校医の先生と支援担当の方で連携していただいているようです。

先日、前期の履修を決めた後、上記の内容で配慮をお願いする文書を作成していただきました。基本的には、その文書を「困りごとが出そう・出ている講義の担当の教員」に渡し、こういうことなのでよろしくお願いします、と説明する形でした。担当の方にはいっしょに説明していただきました。

すんなり通らないこともあります

たとえば、私は「相手を自分から決めてグループワークをする」ことが大変苦手で、ある講義では「ワーク相手をあらかじめ決めてもらえないか」というお願いをしてみたのですが、やっぱり通りませんでした。「ランダムに、知らない相手とワークする」ことに意味があるためです。ただ、内容を事前に教えてもらうのは承諾いただきました。履修を諦めることも考えていたのですが、3週目が終わった今、すでに取ってよかったなと思える講義になっています。

私は、この講義をどうしても取りたかったのです。心理を専攻するうえで大事な科目だったからです。必修ではないのですが。

配慮をお願いすることも、もちろん大事です。しかし、私がこの先希望の職につくためには、少しずつでも変わらなければならないことを痛感しました。

逃げてもいいこともあります

こちらは逆のケースです。必修の英語の講義が、私はどうしても受けられませんでした。理由は、よくわからないのですが「こわい」と感じ、講義の前の晩の中途覚醒がひどかったのです。そのことを相談したところ、「再履修したり、検定やTOEICで単位認定する方法はどうかな」と教えていただきました。

逃げてもいいんだ、と思いました。学生のことを真に考えてくれているのだと思いました。支援担当の方に会った後は、いつも気持ちがすっきりするのを感じます。間違いなく、学生生活の上での恩人だと言えます。

 

大学でも支援は受けられます

前の大学では私が同じ問題を抱えていても、支援に行きつくことはありませんでした。それは大学側の問題もあるし、私自身の問題もあります。しかし、いまの大学では適切な支援を受け、前進できていると感じています。

高等教育機関である大学は、行きたくなければ行く必要はありません。ただ、発達障害を理由に進学を諦めようとしている人がもしいるならば、(きっと大学によって差があるとは思うのですが)大学でも支援は受けられるよということを知っていただきたいです。知ってさえいれば、必要なとき手を伸ばすことができるはずだからです。

私以外に大学で支援・配慮を受けているというお話はまだ聞いたことがないので、そういう方がいればぜひお話をお寄せください。みなさんうまくやっているのでしょうかね。

発達障害当事者が適切な支援にたどり着く世の中にしていきたいですね。

発達障害当事者の病院選びに関するあれこれ

今日は診察日で、加えて病院に関して他の人とお話する機会があったのでそれ関連のことを書こうと思います。

仕事中に泣き出すというとんでもないことをした私ですが、その日の帰り道は比較的けろっとしていました。経緯はこちらの記事に残してあります。

しかし、歳をとってからの筋肉痛みたいに、ダメージが遅れてやってきました。火曜日の夜、ふとしたことで思い出して自宅でまた泣き出しました。疲れて寝るほど泣きました。これは主治医に言った方がいいなと判断し、メモ紙に書き留めておきました。

そして今日、実験の担当講師のあれこれでイライラが頂点に達し、逃げるように講義室を出て、このことも話そうと思いながら診察へ行きました。実際にはこっちは少しだけ話しましたがあまり愚痴は言いませんでした(たぶん後日大学の支援センターの方が聞くことになると思います)。

診察室に入るとすぐ、主治医に「なにかあった?」と尋ねられました。よほど私が顔に出るタイプなのか、だいたいすぐ見分けられるし、当たっています。私はこの時点で主治医すげええと思っています。今日はメモしておいた紙を出して仕事中に泣いた話をしました。

主治医も家庭教師や塾講師をしていたことがあり、指導上のことやコミュニケーションのこと、いろいろなアドバイスをくれました。そのなかでも、「あなたが泣いたことは生徒にとってきっと(コミュニケーション上での)学びがあったと思う」「興味の偏りやでこぼこがあるなら、『できないものはできない』こともある、あなたは生徒と同じ立場からそれを理解できる人」という言葉をもらい、ここでもだいぶ泣きました。ほんとうに救われた気がしました。いままでも何度か助言をもらい、気持ちが軽くなった状態で帰ることができていましたが、泣いてすっきりしたのは初めてでした。とても感謝しています。

 

いまの病院には半年ほど通っています。大学終わりで行きやすい場所にあり、主治医も気に入っています。転院したことがないし、心療内科/精神科もこことあと一か所くらいしか行ったことがないので、病院選びとか偉そうなことはあまり言えませんが、思ったことを少し書き残しておきます。

  • 病院のホームページはよく見ておく
  • 話したいこと、聞きたいことは紙に書いておく
  • 予約がいっぱいで初診まで期間が長いかもしれないのでなるべく早く予約する

ネットにはなかなか良い病院の情報が転がっていません。少なくとも、ちょろっと検索したくらいでは。予約が殺到して待ち長くなるのもあまりよくないですものね。私はたぶん大人の発達障害を診てくれる病院をまず探し、近くて初診でネット予約ができるところを見つけて、偶然そこがはまったタイプなので、かなり運がよかったと思います。

だいたいの病院には、落ち着いて話せる環境ですよ~みたいな、院内の様子だとか、お医者さんの紹介だとか、受け付けている疾患だとかが載っていると思います。どこも同じだと思わないで、さらっとでも見ておくとどんな病院かイメージしやすいのではないでしょうか。

次に、これをぜひやっていただきたいのですが、言いたいこと、聞きたいことはカンペを作っておきましょう。かっこよく言うとアウトプットが大事です。発達障害の初診の場合は、「発達障害かもしれないと思ってきた」「こういうことが苦手であてはまると思った」「子どものころからそうだった(かもしれない)」といった話ができればいいと思います。私は診察のたび、自分のブログやTwitterを見ながら話したいことを書いてカンペを作ってます。カンペといっても、読みながら話をしたって咎められるわけではありません。特に話そうと思うと頭が真っ白になる人は、使っていきましょう。困ったら、書いた紙を見せてもいいでしょう。

そして、発達障害の人は増えているといわれており、うつ病をはじめとした精神疾患もまた増えているとのことで、心療内科/精神科の初診待ちはかなり長くなってきています。先延ばし癖があるのはとてもわかるんですが、つらさがあるなら限界に来る前にとりあえず予約を入れるといいと思います。

 

これを読んだ当事者さんが少しでもよりフィットした主治医に出会えることを願っています。

仕事中に泣いてしまった話

たまにTwitterでつぶやいたり、過去記事に書いたりしていますが、私は家庭教師のアルバイトをしています。

将来希望している仕事に少しでも活かせることをしたいという思いがあります。同世代は大学を卒業してバリバリ働いているのに、という気持ちもあったかもしれません。

私が教えている生徒は、「集中するのが苦手」だとか「得意教科と苦手教科の差が激しい」とか、そういった特性を抱える子たちです。この仕事が初めてということもあるし、私自身が発達障害と二次障害のうつを抱えているために、まだどこか慣れない日々が続いています。

 

先の見えない仕事

なかなか仕事で成果を上げたと感じられることがありません。苦手な教科、興味のない教科を教えていると、同じことを何度も説明して、聞いてるんだかもわからないことが多いです。そして次の週にはきれいさっぱり忘れます。一度で覚えるのだったら、私は必要ではないというのは頭では理解しつつも、現状に満足できていないのです。

私の方も報酬系がぶっ壊れているので、そういった状況にストレスを感じることもあります。いちばん思うのはお金をもらう立場なのに、成果を出せなくていいのかということです。ゆっくりやっていきましょう、と声はかけますが、保護者の方がどう思っているかはわかりません。はやく成果が出せるに越したことはないのでしょうしね。

ちりつもでパニック

そもそも学校の授業が45~50分なのに、90分集中しろというのが無理な話ではあるのですが、その生徒はとりわけ集中が難しい子です。返事もしてくれないことの方が多いです。生意気を言う年齢になってきたこともあり、言葉は悪いですがどうもなめられている感じがします。

今日も私が出した宿題のまるつけと、できていなかったところの説明をしていたのですが、ほとんど返事がありませんでした。これは私の問題で、私は叱り方がわからないのだと思います。静かな声で話すように努めているし、情報が多くなると混乱するかもしれないと思っているので3回同じ内容のことを言ったらしばらく黙ります。それで「返事は意思を伝えるために必要なものだから、『わからない』でもいいから返事はしよう」という内容を、説得力があるように伝えられていないのだと思いました。

そのときも質問の返事がないので少し黙りました。大学が終わってから来ていたので疲れもあり、いらだちもあったと思います。この時点ですでにお金をもらっている立場としてどうかと思いますが、私はどうすべきか考えあぐねてうつむきました。ずいぶん長い沈黙だなと思ったのか、生徒から「しっかりして」と声がかかりました。私の質問の仕方がよくないんだろうな、などと考えながら「質問に答えて」と返事をしてもう一度言い方を変えて、答えを二択にしぼって質問してみました。この時点でいらだちが表に出てしまっていました。生徒から「考えてるんだから待って」と返ってきました。そう言って答えを出したことがあっただろうか?私はそれを押し込めて待ちました。

やっぱり沈黙が続きました。諦めて次の問題に進むというのはこれ以上したくありませんでした。どうしよう、とまた考え始めてうつむいてしまいました。研修もお手本もない中でここまでやってきて、次の一手は真っ暗でした。

「しっかりしてよ」再びそう言われても、気力が削がれていくのが自分でもわかりました。「いまどこやってて、質問はなんだっけ?」と尋ねても、それがわからないようでした。すでに同じところを複数回説明し、質問を重ねているにもかかわらず、私のやり方は改善の余地だらけでした。

すでに泣きそうでした。どうしたらいいのか答えが出ませんでした。こらえようとうつむくと、三度「しっかりして」と言われました。生徒は私の不甲斐なさを察していたのかもしれません。机を叩いて大声で「ねえ、しっかりしてよ」と言いました。

もともと大きな音が大変苦手な私です。ばしばし聞こえる音に完全に混乱し「もうやめて!」と叫んで泣き出してしまいました。生徒がすぐにごめんなさいと謝ってくれました。これには救われた気分でしたが、生徒の前で泣き出した情けなさで少し固まっていました。

私はもっと言葉を尽くして生徒と向き合うべきでした。嫌われること、大声で拒否されることを恐れて、しっかり叱ることもありませんでした。諭すように言っているつもりでも響かないことなんて多々あります。結局私は泣くことでしか意思を示せなかった。生徒に謝らせてしまった。お金を頂いて仕事をする点ではプロと変わりないのに、プロ失格だと思いました。

やめるか否か

お前向いてないんじゃね?と思った方はぜひ教えてください。やめるかどうかはわかりませんが。

保護者の方は騒ぎに気付かなかったようなので今回は私は黙っておきました。もうしばらく続けようと思ったからです。でも再来月にはやめてるかもしれませんね。クビになることも考えられますし。

この先心理職を選ぶことに少し不安になりました。こんなんでやっていけるのかな、と思っています。

ただ、今回はこういう苦い経験をしたのであまりいい面を書きませんでしたが、楽しいことももちろんたくさんあって。

いっしょに妖怪ウォッチポケモンの絵を描いたり、妖怪やポケモンのことを教えてくれたりする時間や、繰り返しやってできるようになった問題を喜んだりとか、そういったやりがいを感じられる瞬間は確かに存在します。まだ、解けるようになった問題は、そう多くはないのですが。

今日は私自身の病状も特性も力不足もひどく痛感した日になりました。できれば、いつかこのことを笑い話にできるような心理士になりたいと思います。