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ADHD大学生の日々

二度目の大学生活を送る、成人ADHD。コンサータその他服用中。

大学で受けている支援について

私は障害特性により、学業に支障が出ている部分がありましたので、大学側に障害をオープンにし、支援・配慮を受けることにしました。

それには苦手なことを伝えることが必要でした。私が挙げたのはこんな感じです。

  • ざわざわしたところにいること(講義中学生が雑談すること)
  • 睡眠全般(寝つきが悪い、起きられない、中途覚醒)
  • パワーポイントや板書など視覚情報なしの講義
  • ノートテイクと話を聴くことのマルチタスク
  • グループワークの困難(ワーク相手を探すこと)

 それに対し、支援担当の方と考えた全般的な方策がこちらです。

  • ノイズキャンセラー(デジタル耳栓)の使用
  • 私語はなるべく注意してもらうようお願いする
  • パワーポイントの資料を印刷して学生に配布するなど、視覚情報を充実させる
  • レポートの期日など重要なことは必ず視覚化する
  • グループワーク相手をあらかじめ決めること、あるいは内容の事前アナウンス
  • まあ朝はがんばって起きろ(私は春休みを使って練習してました)

診断書も提出し、学校医の先生と支援担当の方で連携していただいているようです。

先日、前期の履修を決めた後、上記の内容で配慮をお願いする文書を作成していただきました。基本的には、その文書を「困りごとが出そう・出ている講義の担当の教員」に渡し、こういうことなのでよろしくお願いします、と説明する形でした。担当の方にはいっしょに説明していただきました。

すんなり通らないこともあります

たとえば、私は「相手を自分から決めてグループワークをする」ことが大変苦手で、ある講義では「ワーク相手をあらかじめ決めてもらえないか」というお願いをしてみたのですが、やっぱり通りませんでした。「ランダムに、知らない相手とワークする」ことに意味があるためです。ただ、内容を事前に教えてもらうのは承諾いただきました。履修を諦めることも考えていたのですが、3週目が終わった今、すでに取ってよかったなと思える講義になっています。

私は、この講義をどうしても取りたかったのです。心理を専攻するうえで大事な科目だったからです。必修ではないのですが。

配慮をお願いすることも、もちろん大事です。しかし、私がこの先希望の職につくためには、少しずつでも変わらなければならないことを痛感しました。

逃げてもいいこともあります

こちらは逆のケースです。必修の英語の講義が、私はどうしても受けられませんでした。理由は、よくわからないのですが「こわい」と感じ、講義の前の晩の中途覚醒がひどかったのです。そのことを相談したところ、「再履修したり、検定やTOEICで単位認定する方法はどうかな」と教えていただきました。

逃げてもいいんだ、と思いました。学生のことを真に考えてくれているのだと思いました。支援担当の方に会った後は、いつも気持ちがすっきりするのを感じます。間違いなく、学生生活の上での恩人だと言えます。

 

大学でも支援は受けられます

前の大学では私が同じ問題を抱えていても、支援に行きつくことはありませんでした。それは大学側の問題もあるし、私自身の問題もあります。しかし、いまの大学では適切な支援を受け、前進できていると感じています。

高等教育機関である大学は、行きたくなければ行く必要はありません。ただ、発達障害を理由に進学を諦めようとしている人がもしいるならば、(きっと大学によって差があるとは思うのですが)大学でも支援は受けられるよということを知っていただきたいです。知ってさえいれば、必要なとき手を伸ばすことができるはずだからです。

私以外に大学で支援・配慮を受けているというお話はまだ聞いたことがないので、そういう方がいればぜひお話をお寄せください。みなさんうまくやっているのでしょうかね。

発達障害当事者が適切な支援にたどり着く世の中にしていきたいですね。

発達障害当事者の病院選びに関するあれこれ

今日は診察日で、加えて病院に関して他の人とお話する機会があったのでそれ関連のことを書こうと思います。

仕事中に泣き出すというとんでもないことをした私ですが、その日の帰り道は比較的けろっとしていました。経緯はこちらの記事に残してあります。

しかし、歳をとってからの筋肉痛みたいに、ダメージが遅れてやってきました。火曜日の夜、ふとしたことで思い出して自宅でまた泣き出しました。疲れて寝るほど泣きました。これは主治医に言った方がいいなと判断し、メモ紙に書き留めておきました。

そして今日、実験の担当講師のあれこれでイライラが頂点に達し、逃げるように講義室を出て、このことも話そうと思いながら診察へ行きました。実際にはこっちは少しだけ話しましたがあまり愚痴は言いませんでした(たぶん後日大学の支援センターの方が聞くことになると思います)。

診察室に入るとすぐ、主治医に「なにかあった?」と尋ねられました。よほど私が顔に出るタイプなのか、だいたいすぐ見分けられるし、当たっています。私はこの時点で主治医すげええと思っています。今日はメモしておいた紙を出して仕事中に泣いた話をしました。

主治医も家庭教師や塾講師をしていたことがあり、指導上のことやコミュニケーションのこと、いろいろなアドバイスをくれました。そのなかでも、「あなたが泣いたことは生徒にとってきっと(コミュニケーション上での)学びがあったと思う」「興味の偏りやでこぼこがあるなら、『できないものはできない』こともある、あなたは生徒と同じ立場からそれを理解できる人」という言葉をもらい、ここでもだいぶ泣きました。ほんとうに救われた気がしました。いままでも何度か助言をもらい、気持ちが軽くなった状態で帰ることができていましたが、泣いてすっきりしたのは初めてでした。とても感謝しています。

 

いまの病院には半年ほど通っています。大学終わりで行きやすい場所にあり、主治医も気に入っています。転院したことがないし、心療内科/精神科もこことあと一か所くらいしか行ったことがないので、病院選びとか偉そうなことはあまり言えませんが、思ったことを少し書き残しておきます。

  • 病院のホームページはよく見ておく
  • 話したいこと、聞きたいことは紙に書いておく
  • 予約がいっぱいで初診まで期間が長いかもしれないのでなるべく早く予約する

ネットにはなかなか良い病院の情報が転がっていません。少なくとも、ちょろっと検索したくらいでは。予約が殺到して待ち長くなるのもあまりよくないですものね。私はたぶん大人の発達障害を診てくれる病院をまず探し、近くて初診でネット予約ができるところを見つけて、偶然そこがはまったタイプなので、かなり運がよかったと思います。

だいたいの病院には、落ち着いて話せる環境ですよ~みたいな、院内の様子だとか、お医者さんの紹介だとか、受け付けている疾患だとかが載っていると思います。どこも同じだと思わないで、さらっとでも見ておくとどんな病院かイメージしやすいのではないでしょうか。

次に、これをぜひやっていただきたいのですが、言いたいこと、聞きたいことはカンペを作っておきましょう。かっこよく言うとアウトプットが大事です。発達障害の初診の場合は、「発達障害かもしれないと思ってきた」「こういうことが苦手であてはまると思った」「子どものころからそうだった(かもしれない)」といった話ができればいいと思います。私は診察のたび、自分のブログやTwitterを見ながら話したいことを書いてカンペを作ってます。カンペといっても、読みながら話をしたって咎められるわけではありません。特に話そうと思うと頭が真っ白になる人は、使っていきましょう。困ったら、書いた紙を見せてもいいでしょう。

そして、発達障害の人は増えているといわれており、うつ病をはじめとした精神疾患もまた増えているとのことで、心療内科/精神科の初診待ちはかなり長くなってきています。先延ばし癖があるのはとてもわかるんですが、つらさがあるなら限界に来る前にとりあえず予約を入れるといいと思います。

 

これを読んだ当事者さんが少しでもよりフィットした主治医に出会えることを願っています。

仕事中に泣いてしまった話

たまにTwitterでつぶやいたり、過去記事に書いたりしていますが、私は家庭教師のアルバイトをしています。

将来希望している仕事に少しでも活かせることをしたいという思いがあります。同世代は大学を卒業してバリバリ働いているのに、という気持ちもあったかもしれません。

私が教えている生徒は、「集中するのが苦手」だとか「得意教科と苦手教科の差が激しい」とか、そういった特性を抱える子たちです。この仕事が初めてということもあるし、私自身が発達障害と二次障害のうつを抱えているために、まだどこか慣れない日々が続いています。

 

先の見えない仕事

なかなか仕事で成果を上げたと感じられることがありません。苦手な教科、興味のない教科を教えていると、同じことを何度も説明して、聞いてるんだかもわからないことが多いです。そして次の週にはきれいさっぱり忘れます。一度で覚えるのだったら、私は必要ではないというのは頭では理解しつつも、現状に満足できていないのです。

私の方も報酬系がぶっ壊れているので、そういった状況にストレスを感じることもあります。いちばん思うのはお金をもらう立場なのに、成果を出せなくていいのかということです。ゆっくりやっていきましょう、と声はかけますが、保護者の方がどう思っているかはわかりません。はやく成果が出せるに越したことはないのでしょうしね。

ちりつもでパニック

そもそも学校の授業が45~50分なのに、90分集中しろというのが無理な話ではあるのですが、その生徒はとりわけ集中が難しい子です。返事もしてくれないことの方が多いです。生意気を言う年齢になってきたこともあり、言葉は悪いですがどうもなめられている感じがします。

今日も私が出した宿題のまるつけと、できていなかったところの説明をしていたのですが、ほとんど返事がありませんでした。これは私の問題で、私は叱り方がわからないのだと思います。静かな声で話すように努めているし、情報が多くなると混乱するかもしれないと思っているので3回同じ内容のことを言ったらしばらく黙ります。それで「返事は意思を伝えるために必要なものだから、『わからない』でもいいから返事はしよう」という内容を、説得力があるように伝えられていないのだと思いました。

そのときも質問の返事がないので少し黙りました。大学が終わってから来ていたので疲れもあり、いらだちもあったと思います。この時点ですでにお金をもらっている立場としてどうかと思いますが、私はどうすべきか考えあぐねてうつむきました。ずいぶん長い沈黙だなと思ったのか、生徒から「しっかりして」と声がかかりました。私の質問の仕方がよくないんだろうな、などと考えながら「質問に答えて」と返事をしてもう一度言い方を変えて、答えを二択にしぼって質問してみました。この時点でいらだちが表に出てしまっていました。生徒から「考えてるんだから待って」と返ってきました。そう言って答えを出したことがあっただろうか?私はそれを押し込めて待ちました。

やっぱり沈黙が続きました。諦めて次の問題に進むというのはこれ以上したくありませんでした。どうしよう、とまた考え始めてうつむいてしまいました。研修もお手本もない中でここまでやってきて、次の一手は真っ暗でした。

「しっかりしてよ」再びそう言われても、気力が削がれていくのが自分でもわかりました。「いまどこやってて、質問はなんだっけ?」と尋ねても、それがわからないようでした。すでに同じところを複数回説明し、質問を重ねているにもかかわらず、私のやり方は改善の余地だらけでした。

すでに泣きそうでした。どうしたらいいのか答えが出ませんでした。こらえようとうつむくと、三度「しっかりして」と言われました。生徒は私の不甲斐なさを察していたのかもしれません。机を叩いて大声で「ねえ、しっかりしてよ」と言いました。

もともと大きな音が大変苦手な私です。ばしばし聞こえる音に完全に混乱し「もうやめて!」と叫んで泣き出してしまいました。生徒がすぐにごめんなさいと謝ってくれました。これには救われた気分でしたが、生徒の前で泣き出した情けなさで少し固まっていました。

私はもっと言葉を尽くして生徒と向き合うべきでした。嫌われること、大声で拒否されることを恐れて、しっかり叱ることもありませんでした。諭すように言っているつもりでも響かないことなんて多々あります。結局私は泣くことでしか意思を示せなかった。生徒に謝らせてしまった。お金を頂いて仕事をする点ではプロと変わりないのに、プロ失格だと思いました。

やめるか否か

お前向いてないんじゃね?と思った方はぜひ教えてください。やめるかどうかはわかりませんが。

保護者の方は騒ぎに気付かなかったようなので今回は私は黙っておきました。もうしばらく続けようと思ったからです。でも再来月にはやめてるかもしれませんね。クビになることも考えられますし。

この先心理職を選ぶことに少し不安になりました。こんなんでやっていけるのかな、と思っています。

ただ、今回はこういう苦い経験をしたのであまりいい面を書きませんでしたが、楽しいことももちろんたくさんあって。

いっしょに妖怪ウォッチポケモンの絵を描いたり、妖怪やポケモンのことを教えてくれたりする時間や、繰り返しやってできるようになった問題を喜んだりとか、そういったやりがいを感じられる瞬間は確かに存在します。まだ、解けるようになった問題は、そう多くはないのですが。

今日は私自身の病状も特性も力不足もひどく痛感した日になりました。できれば、いつかこのことを笑い話にできるような心理士になりたいと思います。

大学でおちこぼれだった話

ちょっとネガティブな話です。

 

3月の晴れた日、高校を卒業して自宅にいた私は、とてもそわそわしていました。

第一志望の大学の合格発表の日だったのです。

インターネットでの発表を見ることになっていました。聞いていた時間より少し遅かったものの、結果が発表されました。合格でした。自宅にいた母も、仕事中だった父も、離れて暮らしていた姉も、入院していた祖父も、みんなが喜んでくれました。

これからいろんなことを学んで、資格を取って、社会に出ていくんだと信じて疑いませんでした。きれいな部屋、都会の街、行きたかった大学、期待でいっぱいでした。

開幕でつまづく

朝起きられないのと段取りがつけられないコンボで1限の講義に出られないことが続き、それ以上に壊滅的な人間関係で孤立していきました。

高校までのようにクラスがあって、女子が少ないこともありだいたいクラスの女子で固まって行動していました。一応その中に入ってみましたが、自分が浮いていることはすぐにわかりました。当時K-POPが流行っていて、他の子がアーティストやアイドルや俳優の話をしているのを黙って聞いていました。興味がなかったのでまったく話についていけませんでした。理由はわかりませんが、私がしゃべると変な空気になる気がしました。あまり私に話しかける人はいなかったし、私も話しかけ方がわからなくてずっと黙っていました。

サークルにも入れませんでした。入ろうと思っていたサークルは飲みばかりでだめだなと思い、ほかを探しているうちに新歓の時期が過ぎていきました。まあいいかと思って直帰する日々が続きました。

同級生で気にかけてくれた人はいました。彼女たちにしがみついて助けを求めれば、卒業できていたかもしれません。だけどそれができなかった。当時発達障害のことを何も知らず、自分はやればできると思っていました。そして、私は他の人に声をかける方法、ましてや人に助けを求める方法がぜんぜんわかりませんでした。これはいまもそうです。

 

その後も単位を落とし続けました。再履修のため、クラスの女子の輪とも会わなくなりました。ずるずると学校に行かなくなる日が続きました。両親には元気でやってるよと嘘をつきました。

一応学年だけは上がりました。けれども取っている単位が少ないので大学で面談を受けました。朝が苦手だという話をしました。そこで学生相談室を紹介してもらいました。しかし、そこも行かなくなってしまいました。

私は誰の心の中にも存在していない。私はここにいるのに、みんな見えてないみたいだ。勝手にそう思って泣きました。誰とも話さない日々でさらにコミュニケーションが不得手になっていきました。

それでもしばらくやめなかった

実状を知った母は怒り、父は諭しました。私も泣きました。けれど本当のことは言えませんでした。友達がいないとも、講義に集中できないとも。母の怒る様に委縮して泣いて、その姿を見て「泣きたいのはこっちだ」とヒートアップするのに耐えているだけでした。やめようと思っていたのですが、結局大学はやめませんでした。

生活リズムの改善とコミュニケーション力の向上のためにアルバイトを始めました。そこでもなかなかのポンコツぶりでした。半年の試用期間で切られそうになりました。遅めながらも仕事を覚え、クビにはなりませんでした。ただ内部の人間関係には困りました。複数の社員・アルバイトに嫌われていた気がします。ポンコツすぎてミスを疑われたこともありました。

結局単位はあまり取れるようになりませんでした。家計の急変もあり、大学をやめました。

最後の半年で、発達障害のことを知りました。きっかけはだいたいこの記事に書いてある通りです。

 

もともと心理学に興味があったこともあり、学びたいと思いました。学費分の奨学金の出る大学を探して、いまの大学に出会いました。

なぜこの話を?

おそらく衝動性の思いつきですが、自分を見つめなおすのに必要だろうから、いつか書こうとは思っていました。文章にすると整理できるので。

それから、「学歴なんてどうでもいいんじゃ!」ってことを言いたかったんだと思います。たぶんこっちの方が理由としてはでかい。

Twitterで医者が~とか院卒が~といったツイートを見るたびに、複雑な気分になります。前の大学やアルバイトを通して、「学歴ってあてにならねえな」ってことを感じ取ったからです。同じ大学に通ってて私のようにポンコツな人間もいるし、学力が心許なくても「質問できる」「助けを求められる」ことで切り抜けていける人もいる。逆に言うなら医者だろうが院卒だろうが言ってることが至言だとも正しいとも限らないんだと思います。要はツイへのかみつきを避けてブログでやいのやいの言いたかったってことです。

 

最後に、大学やめてまた大学入って、モラトリアム延長しまくってるなんて言われたこともありますが、ちょっと遠回りするくらいが発達障害っぽいかなと思いました。ゆっくりやっていきましょう。

「がんばったこと」に目が向いた日

先日、大学の行事に出席してきました。

毎年この時期、新入生の歓迎を兼ねて行う会です。私の通う大学は特殊な奨学金制度があって、採用されると学費が4年間免除になります。奨学生は、いまは学内で100名ほどです。この制度のある大学だから私は入れたんです。ただ、入試がコミュニケーション力が問われる試験だったら、私はいまごろ非正規雇用の沼にはまっていたでしょう。

昨年は新入生だったので、ぽけーっと座ったりごはんを食べたりしているだけで終わったものですが、今年は在校生の立場での出席となりました。1年ははやいものです。

グループワークに立ち向かった

前もって自宅に案内と書類が送付されていました。「会の案内」、「事務的な更新手続き」、「グループワークの課題」…。グループワーク?

他の在校生の奨学生とグループワークして、プレゼンしてね!そのためにアイデアを考えておけ!と。幸いテーマは与えられたものから選択で、アイデアをひねり出すことに専念してほしいようです。

私はここで頭を抱えました。グループワークもプレゼンも、きらいです…。

三人寄らば文殊の知恵というように、複数人で話し合うことの意義は大きいと思います。しかし、だいたいグループワークでは2~3人しゃべっていて、無言の人もいますよね。その無言な人間が私です。何も浮かばないし、何に口を出したらいいかもわかりません。そして役に立ってない自分を責めるし、時間が過ぎるのをじっと待っている。こんな苦痛な時間はないと思っていました。「グループワークや発表での態度を成績評価に加える」なんて文言をシラバスに発見した日にはそっとバツ印をつけるような人間です。それが、グループワークをやる。当日会う、よく知らない人と。そして大勢の前でプレゼンもしなければならない。私にとってはとんでもないことでした。

前日はテーマごとに3行くらいずつアイデアを書きました。その日疲れていたこともあり、やりたくなさもあり、キャパシティをオーバーする前にぱたんと閉じてかばんに用紙を入れてしまいました。みんなが練りに練ってきてたらどうしよう?でもなるようにな~れ…まるで試験前夜に勉強を諦めて寝た高校生のようでした。

まあ本当になるようになるね

当日は良いメンバーに囲まれました。ファシリテーターの方と発表媒体(模造紙でした)に書いてくれる方はとてもよくがんばっていたし、他の方も意見を出してくれました。私は最初に出した案がほめられてにやにやしていました。3行でも前日に書いておいてよかったね!

死ぬほどイメトレして、分担してプレゼンしました。私は自分のつかみ部分でみんなくすっとしてくれて、考えたことをそれなりしゃべれた気がして、わりと満足していました。

それはグループワークをしてたほかのチームに向けてプレゼンしたものだったのですが、ほかのメンバーのプレゼンも上手で、なんと新入生や学長のいる前でもう一度プレゼンすることになってしまいました。これはイレギュラー。汗だらだらで二度目のプレゼンを終えました。

がんばったと思えた

うつや発達障害を抱えながら、前向きに生きていくのはむずかしいことです。

怒られた記憶、叱られた記憶、呆れられた記憶…いろんな「できない」に傷ついてきたのはほかならぬ当事者です。そのたびに「もっとがんばらなきゃ」「自分の努力が足りないから」と自分を責め、傷つけてしまうことも多くあります。

私もそうやって自分をないがしろにしてきました。けれどもこの日は違っていて、帰宅してしばらく、やりきったという気持ちが渦巻いているのを感じました。

慣れないスーツを着て、足が痛くなりそうなパンプスを履いて、苦手なグループワークやプレゼンをして…小さなことでも、つたなくても、逃げずに私は「がんばった」。自分をプラスにとらえることができた。今日はいい日だったと思いました。

もちろん平常運行も

いろんないいことがあった日でしたが、いつものようなミスもしていました。

書類に印鑑を押し忘れてたり、新しいストッキングを出したはずなのにすでにやぶけていたり、遅刻しかけたり…。グループワークやプレゼンでできなかったことなんて、枚挙に暇がありません。けれども、ただ自分はいいところもあった、悪いことばかりじゃなかったと思えました。

 

 

せっかく気分が良かったので、こういう記事を残そうと思って書きました。

ただ、今月から始まる前期でも、なるべくグループワークやプレゼンのある講義は避けるようにします。あれが15週続くなんて、耐えられません!

1年に1度くらいなら、いいのかもしれませんね。

表情を作ることのむずかしさ

アルバイトと発話

私はコミュニケーションに難のある人間です。文章でのやりとりの方がやりやすく、会話を大変苦手としています。とくに「発話」ができず、雑談を話しかけることができません。「返事」はそれに比べるとましという程度です。大学の講義で「質問を考えて」と言われたり、グループワークがあったり、みんなで議論したりということがあると、そのたびに押し黙ってしまうような感じです。まっしろで何も浮かばないのです。そんな自分がいやでたまらないこともあります。

そんな私ですが、現在子どもを相手に家庭教師のアルバイトをしています。苦手な教科があり、なかなか集中しづらいといった、私にすこし似ているかもしれない子たちです。彼ら・彼女らもまた、コミュニケーションが不得手であるのかもしれません。

子どもたちの前では、私は人生の先輩として振る舞わねばならないという自覚を持ちます。自分から声をかけて、授業を進めていかなければなりません。彼ら・彼女らの様子をつぶさに見て、苦手な部分を解決するのが私の仕事です。そこには「発話」が必要不可欠です。自分から始めたアルバイトですが、当初は「私にできるのか?」とかなり不安でした。

授業を進めるうえでの発話はそれなりにできるようになってきました。自分と生徒のペースで授業運営ができるため、考えるのがゆっくりでもいいのが良いところです。ただ、雑談となると何も浮かばなくなり、子ども相手としてはかなり静かな授業になってしまっているのも事実です。やっとのことでひねり出した発話の返事が返ってこないために(答えが思い浮かばないのか、興味がないのか、聞いていないのかはわかりませんが)「自分の授業はつまらないかな」「話しかけ方が悪かったかな」と自分を責めることも多いです。

自分のペースでできるということは、お手本がないということでもあります。私のようなコミュニケーションが不得手でない人だったら、どうするんだろうという部分が見えず、不安な気持ちもあります。

それでも好きで始めたこの仕事は、私に成長をもたらすと信じています。少しずつ生徒が前進していく様子を見るのはやはり嬉しいです。通勤時間の長ささえなければ…。

目を見る、表情を作ることができない

授業中、意識的にほめるだとか「教育者っぽい」ことをやるのですが、いかんせんコミュニケーションがアレなのでなかなか伝わっていないように感じます。普段からそうなのですが、私は人の目を見たり、表情を作ったり、お世辞を言ったりということがあまりできません。本心から思っていても、言葉に抑揚がなかったり、笑えていなかったりして逆にお世辞だと思われることもあります。生徒をほめるときもちゃんと伝わっているのか心配になります。

目を見ることと表情を作ることはつながっているのではないかと思います。私は相手の目、というか顔すらほとんど見ていないので、相手の表情もわからないのです。だから自分がどういう顔をしているのか、どういう顔をすればいいのかも自覚が及ばない。表情をうかがうことができないから、表情を作れないということなのかなと思いました。話すことに集中しすぎて、表情まで考えが及ばないということもあるでしょう。

さすがに直したい、けれども

二十余年こんな感じできたので、特性もありなかなかむずかしいところですね。家から出なさすぎてコミュニケーション不足ということもあるので、もっといろんな人とお話する必要がありますね。心理職を目指していることですし。こんなんで大丈夫なのだろうか…。

目を見なくとも、相手の眉間あたりを見ればそれっぽくなるとよく聞きますが、たぶん私は首元あたりを見てる気がします。それかぜんぜん別のものを。診察のときはずっとカレンダーか時計を見ています。癖がなかなか治らないです。

こんな大人になるはずじゃなかった。だけど明日も目が泳ぐ。

なにか良い対処法があったらどうぞ教えてください。お待ちしております。

ADHDな私が1ヶ月日記が続いて驚いた話

こんにちは、もちこです。

何の気なしに始めた日記が1ヶ月続き、現在も継続中です。自分がいちばん驚いています。

私は紙の手帳や日記は今までまるで続きませんでした。決して安くはないし、買わないという選択肢ももちろんあるのですが、どうせ続かないだろうと思いながらも今年の分も買ってしまいまして。文房具や日記のモノ自体は好きなんです…。昨年はほぼ日手帳のカズンを使っていましたが、ほぼまっさらです。家族から諸事情で新品を譲り受けたものなのですが、もったいないことをしてますね…。

私がいま使っているのは、1日1ページ、B6変型のEDiTです。昨年末に購入した1月始まりのものです。3月・4月始まりのタイプもあります。 

マークス EDiT 手帳 2017 1月始まり B6変型 1日1ページ リフィル 17WDR-ETA-RFL

マークス EDiT 手帳 2017 1月始まり B6変型 1日1ページ リフィル 17WDR-ETA-RFL

 

EDiTは手帳としてももちろん使えますが、私はもっぱら自宅でのみ使っています。予定はほとんどスマホで管理していまして、文字通り「日記」として使っています。

これが実際のものです。

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他人に見せない前提で字も汚いのでぼかして撮っていますが、意外とページ埋まってますよね。自画自賛。写真はったり色ペンやふせん、シールを使ったりなんてことはまったくなく、黒のボールペンでただ書きなぐってるだけですが…。

内容は本当にいろいろあります。今日行った場所、食べたもの、バイトのこと、診察のこと、ゲームのこと、考えたこと、何もせずごろごろしたことも。もともと文章を書くのは好きで、楽しく続けています。よく見返しますが、字を見るとその日の気持ちが思い出されます。

ただ、上で述べたとおり、私はADHDの性か、いままでまったく手帳や日記は続きませんでした。なぜいきなり続くようになったのか?その理由を自分なりに考えて、今回の記事を書こうと思い立ったわけです。皆様のお役に立てれば嬉しいです。

単純明快?

といっても、いろいろ頭の中をこねくりまわしてみましたが、思い当たる理由はこれくらいしかありませんでした。

  • コンサータを飲むようになった。
  • よく使うものボックスを作って物をまとめて入れた。
  • その中に薬類も日記も入れている。
  • いつも座ってる場所から動かずに手に取れる。

コンサータを飲み始めてちょっとだけ片づけられるようになった私は、ダイソーでボックスを買ってみました。その中に薬、日記、爪切りなどすぐ使いそうなもの小さくてまとめておきたいものを放り込み、テーブルの下に置くことにしました。

薬を朝晩毎日飲むので、ボックスは毎日触ります。日記が目について、読み返したり書いたりしてみる。その繰り返しだったように思います。日記に気を取られて、薬を飲むはずがしばらくほったらかしにしていたこともあります。

それで1ヶ月。私にとっては1ヶ月続いたことは大変な自信になりました。定型の人は苦もなく続けられるものなのかしら、などと思いつつ、楽しかったこともいやだったことも書きなぐりました。

日記の意味を考えてみる

以前、こんなツイートをしたことを思い出しました。

私にとって日記は「憂いの篩」の代わりなんじゃないかと思います。その日の記憶を、思い出せる限り日記に書き留めて、出してしまう。完全に忘れるわけではないけれど、記憶はそこに文字として残っていて、楽しかったことやアイデアを繋ぎとめている。もちろん悲しかったこと、できなかったこともそこにはある。フラッシュバックしてしまうこともある。けれども日々がすぎて忘れてしまうことも、日記を読み返せば思い出せる。

日常は連続したものです。それを実感することができました。私はその日を生きることで精いっぱいで、日々が繋がったものであるという感覚が薄かったように思います。日記は生々しいです。繰り返しになりますが、自分の字はいろんなことを思い出させます。いろいろ書きましたが、要は自分にとってそれがプラスに働いていると思うのです。

もともと私には紙の本のほうが読んで覚えやすいなどという妙なこだわりがあるので、なおさらだと思います。だいたいの人は、Twitterでいいんじゃないかなと思います。

おまけ タスク管理アプリについて

タスク管理は必ず持ち歩くスマホで行っています。

私はAndroidユーザーで、メモアプリはこちらを使っています。


ウィジェットでホーム画面に置いていて、タップすればすぐ書き込めます。スマホは必ず見るので、書き忘れに気を付けていればタスク管理しやすくなります。いまはこんな感じ。 
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紙とペンを出すのもさぼる私は重宝しています。

思いついたことを書いたり、診察のとき主治医に相談することを書いたり。いざ対面するとすぐ思いつかないことが多いので、役立っています。日記に書けるときは日記にも書いておきます。

 

また、アルバイトのシフトとお給料を同時に管理できるアプリがこちら。



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こちらが私が実際に使っている様子です。働かなさすぎ?学生なので許してください。

「シフト設定」で勤務時間をプリセットできます。早番8:00~17:00とか。休憩時間を設定すればその分の給料は計算されません。アラームもかけられます。

「勤務先設定」でそれぞれの勤務先の時給・交通費・締日・振込日などを設定でき、休日・深夜の割増も保存できます。下の欄に給与を自動で計算してくれます。このアプリは本当に気に入っております。おすすめです。

  

そんなこんなで、似非ライフハック的な記事を書こうと思っていたら、とりとめのない上に肝心の「日記が続く理由」についてはそんなに長く書けませんでしたが、日記自体は楽しく続けてるよということだけお伝えして、おしまいにします。